100歳の壁
- 粕谷隆夫
2025/04/02 (Wed) 07:23:50
私事ですが、昨日、女房の妹の亭主のご母堂が亡くなりました。認知症がひどくなり、ちょっと施設に入りましたが、あっという間のことでした。99歳。あと10日で100歳でした。ふるさと(自宅)は下北半島東通村。
「そうか、俺の親父と同い年だったのか」「昭和100年か」・・・義弟との会話。「今日は関東も雨で冬に逆戻りだよ」・・・ここからはあまりにも俗な話。「100歳の誕生日を越えると、東通村役場から100万円のお祝い金がもらえたんだが」「そうか、村役場はやさしいもんだ」「それが令和になって70万円に減額」「へえ、なぜだろう」「それだけ100歳の婆さんがどんどん増えているのさ。酒好きの爺さんたちは少ないがね」ときたもんだ。
写真は尻屋岬灯台。
Re: 100歳の壁
- 川上 宏
2025/04/02 (Wed) 16:13:41
長女の嫁ぎ先の親類のおばあちゃん、30日にお亡くなりにな
られました。当年とって104歳の大往生。好きな食べ物は焼肉と
ハンバーガー、趣味はカラオケでした。合掌。
そうか、もう遠い日々の思い出 - 粕谷隆夫
2025/03/31 (Mon) 06:51:43
幼稚園、小学校、中学校、高校時代、大学と、いやはや昭和32年から昭和50年までか。23歳で卒業。昭和100年の今、50年を足すと73歳。ウム、間違いなし。
多くの恩師たちに恵まれて歩いてきました。遠い日々は過ぎ去り、思い出だけが鮮明に残っています。
Re: そうか、もう遠い日々の思い出 - 粕谷隆夫
2025/04/01 (Tue) 06:49:33
今日から四月。遠い昔の経験や思い出が活き活きと各自の記憶に生きています。考えてみれば、これは人間の生きていく糧になっているのかな。
『水源地』第八号の原稿締切りは四月九日(水)です。お忘れなく・・・。
足元の現実を見よ - 吉澤稔雄
2025/04/01 (Tue) 09:51:58
今日から4月。そしてまた酒類の値上げだ。メディアはニュースとしてほとんど取り上げてこなかったが、スーパーなどに通っている人ならば、しばらく前からこの値上げ告知を目にしていたはず。
爺さん婆さんの書く「朝晴れエッセー」や「朝の詩」も悪いとは言わないが、こんなものばかり読んで過去を懐かしがっていては、一向に視点は前には向かない。
思い出には、時を経てフィルターがかかる傾向がある。それ以前に「言葉にすれば嘘に染まる」という表現法のテクニックの問題も見逃してはならない。
足元の現実を見よう。そして、もっと前を見て歩こう。思い出にばかり浸っていては、けっして明るい未来は拓けない。
Re: そうか、もう遠い日々の思い出
- 草野義彦
2025/04/02 (Wed) 21:13:33
3月9日の日曜美術館で”時代のアートの伴走者として小池一子89 歳の颯爽”という番組を放送していました。
恥ずかしながら小池一子さんは今まで知らない方でしたが元気の出る番組でした。
昔はよく夭折の芸術家かとか言われ短命の人が、やや美化された面もありましたが、先日亡くなった柚木沙弥郎は101歳と高齢まで活躍する方も普通になって来ました。小池さんは「くりかえし原点、くりかえし未来」と言っています。
老人の考え方、生き方も人それぞれで多様だと思いますが、
体が弱くていつまで持つかあやしいと思う時もある私ですが、気持ちだけは「くりかえし原点、くりかえし未来」という気持ちだけは、持ち続けたいと思います。
印象派の仲間内の雑談 - 美水正一
2025/03/30 (Sun) 08:11:50
印象派の画家たちが毎日のように「カフェ・ゲルボワ」に集って議論していた。
A:「我々の仲間内で一番画料にうるさい画家は誰かね?」
B:「そりゃ、マネだろう。マネーって言うくらいだもの」
C:「でも、モネもネ~」
D:「それよりもっとひどいのはあのバレリーナの絵で話題となったドガだよ!何たって彼の場合、度が(ドガ)過ぎるんだって」
A:「そう言えば、以前印象派を名乗っていたけど最近グループから離れたセザンヌ、自分は決して過大に画料を要求することはセザンヌ、と豪語しているらしいね」
B:「ルソー!」
C:「そういえば、例のスペインの画家、誰だったっけ?名前度忘れしちゃった。屋敷が火事になったんだって」
D:「ああ、あの“着衣のマハ”、“裸のマハ”の作者?」
A:「その火事ならボヤで終わったってよ。屋敷の持ち主がゴヤだけに・・・・」
B:「おいおい、あそこ。あの階段下の席に座っている画家、あれ誰だっけ?」
C:「ああ、あれかい。わかる筈だよ。良く見れ(ミレー)」
明日は、上野で、桜を愛でながら昼飲みです。
(2025年3月30日)
野獣派の巨匠 - 美水正一
2025/03/29 (Sat) 12:28:56
フランスを代表するフォーヴィスム(野獣派)のリーダーであるアンリ・マティス (1869年12月31日 - 1954年11月3日)にまつわる小話4題。
その1
マティスが私立美術学校アカデミー・ジュリアンに入学、絵画の勉強を始めた頃、生涯の友人となるルオーと餃子を食べにとあるビストロへ出向いた。
マティスが餃子に醤油を一差し、頬張ろうとしたところルオーが慌てて止める「待て、酢(マティス)」
その2
画家として修業時代のマティス。授業を終えたばこを吸おうと喫煙室へ向かう。周囲の学生はその頃流行りのライターで点火しているが独り彼は、この着火器を使わない。友人が理由を問うと彼は答える。「俺、マッチす(マティス)」
その3
1914年、巨匠43歳の年にオーストリア皇太子夫妻が暗殺される事件が起き、これをきっかけとして、第一次世界大戦が始まった。ドイツ・オーストリア・イタリアの「三国同盟」と、イギリス・フランス・ロシアの「三国協商」。戦争はその後、膠着状態に入った。弟子が巨匠に問う「先生、我が国は率先して攻めるべきですか?」巨匠が答える「ここは、待ちっす(マティス)」
その4
老境を迎えた巨匠に弟子が尋ねる。「先生は余生を暮らすには、田舎と都会、どちらが良いですか?」巨匠が答える。「やはり僕は、街っす(マティス)」
謙信平 - 粕谷隆夫
2025/03/24 (Mon) 09:03:36
昨日の日曜日は晴天で無風、まさに爛熟の春模様でした。こうなると家人は「どこかへ行こう」と騒ぎます。近くに住んでいる娘からも連絡が入る。栃木の大平山神社。そこの謙信平からの眺望は関東平野を一望できます。
上杉と北条の戦いの場所でもあります。神社の周辺の森からは多くの鶯たちのさえずりが聞こえ、野生のリンゴの実をつつくメジロもいました。
山本有三は栃木市が誕生の地。だから有三の文学碑があります。「あれ、同姓同名だ」と呟きますが、山形さんでした。
Re:「専務、目の前にパソコンあるじゃん」 - 粕谷隆夫
2025/03/25 (Tue) 07:03:30
「アラカンってなんだ」「マッチングアプリってなんだ」と事務所で周りのおばさんに聞く。
そうすると、「専務、机の上のパソコンのキーをたたけば答えが画面に出てくるでしょう。小学生以下」。
なるほど・・・。
Re:やっぱり味の深い天道公平氏 - 粕谷隆夫
2025/03/25 (Tue) 08:28:21
我が家の狭い庭で生きている辛夷が、「えい!満開だ」と全部開花。
黒田三郎から、あれ、田村隆一、そして清岡卓行ときたもんだ。さすが天道さん。大学のキャンパスのゆったりした空間をほろ酔い気分で歩いている詩人たち。
翻訳家村野氏が、「天地真理、この名前、許されるのか!と騒いでいた昔。ウム、なつかしい。宇宙の天地における真理ですか。俺の青春を返せ!!と酒場で酔っぱらっていた若造たち。ウム、天地真理に惚れていたんだろうね」。
しかし、当時は、こちらも酒に酔って造形された肉眼で、世の中を見ていましたね。「言葉のない世界を発見するのだ、言葉を使って」。
田村隆一のあとに、長園安浩がすぐに出てくる御仁と吉澤編集長は一緒に仕事をしていたとは。
たしかに、青春、壮年、初老ときましたが、「専務、あとは晩年という言葉のみ」と笑われていますが、いや、どうも、そんなことより、毎日ほろ酔い気分で過ごすのみ。
と言いながら、ワード検索で『田村隆一』」を開いたら、ありゃ、随分書いてる、書いてる……。
関連がないのに…… - 吉澤稔雄
2025/03/25 (Tue) 21:55:31
最初の記事には関連がないのに、「返信(レスポンス)」をつけてしまうというこの書き方――どうも私には違和感があります。
通常のメールで、まったく別件なのに返信で(新規メールではなく)タイトルも変えずに用件を伝えてくる人がいますよね。あれと同じか。いかにもパソコンは不慣れだと言っているようで、スマートではありませんね。
まぁ、どうでもよいことかもしれませんが……。
3月例会 - 吉澤稔雄
2025/03/20 (Thu) 08:41:18
守谷に出かける頃、東京では珍しくボタン雪が降っていました。一瞬、出かけるのを止めようかとも思いましたが、意を決して家を出ました。
守谷では、車道以外の場所はシャーベット状の雪に覆われ、ほぼ水浸し。しかたなく車道を歩いて吉右エ門に行きました。
黒田三郎 - 粕谷隆夫
2025/03/15 (Sat) 09:05:16
久しぶりに黒田三郎の名前を見ました。吉澤編集長と一緒に写っている写真を思い出しましたね。
あの詩人、いつも酔っぱらっていたのでは・・・。
Re: 思い出は美しすぎて - 吉澤稔雄
2025/03/16 (Sun) 11:12:20
私が黒田三郎氏と酒を飲んだのは昭和47年の秋。当時はまだ銀塩フィルム使用のカメラの時代で、今のように気軽に写真の撮れる時代ではなかった。
残念ながら、その時私も仏文科の仲間もカメラを持っていなかったので、黒田氏と私が一緒に写っている写真などは存在しない。返す返すも残念なことだとは思うが、これが事実である。
思い出とは、個人の思い込みによって変質してしまうものである。そして思い出は時を経るうちに往々にして美化されがちである。それゆえ、客観的に時代考証をしてみることも必要なのではないかと私は思う。
Re: 黒田三郎 - 天道公平
2025/03/17 (Mon) 00:10:22
粕谷大人の投稿を読んで、私もまた黒田三郎と吉澤編集長とが一緒に写っている写真を思い出してしまった(より正確に言えば、私の脳は瞬時にその画像を捏造して見せたくれた)。
私の記憶の中の写真には、新宿の路地裏の飲み屋街で酔っ払いジジイの黒田とキュートな顔立ちの若かりし頃の吉澤編集長とが、足下も覚束ない足取りで歩いている姿がはっきりと写っているのである。いったいこれはどういう事なのか?
粕谷大人の記憶と私の記憶の出処の共通点は、ただひとつしかない。それは、吉澤編集長の書いた『「学校」へ行こう』というエッセイを読んでいるということである。
粕谷・天道両名の記憶違いとは、そもそも、一枚の写真としてそのイメージを定着させてしまうほどの喚起力を持った編集長の筆力に由来する、というのが私の出した結論です。
Re: 捏造写真 - 天道公平
2025/03/21 (Fri) 23:50:32
編集長のコラージュよりも、私の脳内捏造画像の方がはるかにリアルだが、そのリアルさを説明しようとしても、何しろこの世には存在しない写真の話であるからなかなか難しい。
私の脳内写真は、『「学校」へ行こう』を読んだことに触発されて産まれたものであることは間違いないが、その形成過程において、編集長や黒田三郎とは何の関係もない私の個人的な経験が加味されてしまっている。
背景を成す新宿の裏通りの街並みは、昭和47年当時のものではなく、1980年代初頭の新宿ゴールデン街の風景に差し替えられてしまっている。当時私は、内藤陳の経営する〈深夜+1〉という酒場によく通っていたので、「学校」の舞台としてその映像が引用されてしまったのであろう。
私は、黒田三郎の顔は〈著者近影〉などで見知ってはいたが、直接本人に会ったことはない。だが、田村隆一に会ったことはある。
大学のキャンパス内で、ほろ酔い気分で歩いている田村隆一を見掛けてびっくりしたのである。近くに顔見知りの他学部の先輩がいたので、「アレ、田村隆一ですよね?」と声をかけてみたところ、「ああ、そうだよ。学内の現代詩サークル主催で〈現代詩コンクール〉というのがあってな、その審査委員長として来てもらったんだ。」という。
大学構内を酔っぱらって歩いている大人を見たのは初めてのことだったので、この時の印象は強烈に私の瞼に焼き付いている。
つまり、私の脳内写真に写っている黒田三郎とは、ほとんど田村隆一で出来ているのである。顔だけは黒田三郎だが、そのたたずまいや千鳥足は田村隆一のものである。
詩人→〈荒地〉同人→酒好き→酔っぱらいというような連想が働いているのであろう。〈荒地〉同人の中でも私が最も好きな三人の詩人の内の二人(ちなみにもう一人は清岡卓行)が合体して出来上がったのが、私の記憶の中の黒田三郎の姿なのである。私にとってリアルであるのはむべなるかな、と言うべきか。
注∶〈深夜+1〉 内藤陳が1981年に設立した日本冒険小説協会の公認酒場。冒険小説好きの大人たちの溜まり場。北方謙三や大沢在昌もよく顔を出していた。デビュー前の馳星周もここで働いていた。
ネットで検索してみたところ、この〈深夜+1〉は驚くなかれ今でも存在していた。現在のマスターは役者兼業だそうで映画に詳しく、店内は映画のチラシやポスターだらけだそうである。映画好きの美水さんにはお薦めの一軒と言ったらいいだろうか。新宿にお越しの際は御一考を!
****国家を描くロシア発マンガの研究会のご案内 - K.Murano
2025/03/14 (Fri) 19:33:05
以下の公開研究会が東京で開催されます。
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日本マンガ学会 海外マンガ交流部会 第17回公開研究会
「『サバキスタン』――架空の****国家を描くロシア発グラフィック・ノベルの世界」
日時:2025年3月23日(日)14時~16時+α
会場:専修大学神田校舎10号館11階10113教室
詳しくは以下のHPをご覧ください。
➔ https://www.jsscc.net/study-group/foreign/7109
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この日本語訳を刊行中の版元のHPは以下。
➔ https://www.twovirgins.jp/book/sobakistan1/
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上記のマンガ製作のテルレツキー(作)、カティア(画)両氏は「2022年はじめ」から日本在住のようです。
同年2月24日は「特別軍事作戦」開始日。ロシア連邦軍によるウクライナへの<全面的>軍事攻撃が始まりました。
あれから3年が経過し、今、停戦交渉が始まっていますが、戦火が止むことを心から願っています。
春を待つ - 吉澤稔雄
2025/03/13 (Thu) 13:00:18
石炭、石油、原子力・・・!? - 粕谷隆夫
2025/03/11 (Tue) 07:26:56
あれから14年たちましたか。
70年前の意識の朧のときでも、冬夜の楽しみは湯たんぽでしたね。それから練炭、マメタンがでてきて、『品川あんか』の時代になりました。
太陽内部で起きている反応は【核融合】。軽い原子核同士が合体し、重い原子核になる際→→→→膨大なエネルギーを放つ。これを利用するのが核融合発電。
とにかく理解はできません。海水から無尽蔵に燃料がとれるときたもんだ。石油立国は大丈夫か?
73歳の誕生日を迎えたとき、「おぬし、人生疲れないか」と天の声。
Re: 石炭、石油、原子力・・・!? - 粕谷隆夫
2025/03/12 (Wed) 08:07:57
1972年の日の丸飛行隊、金・銀・胴に、日本中は歓喜の渦でした。この年の四月、札幌に渡りました。東京は桜吹雪が終わっていました。
「あれ、まだまだ寒い」。宮崎県から経済学部に入学した男は電気ストーブを持ってきていましたが、なんの効果もなし。自分で初めて灯油を買いに行きましたね。いい経験でした。
在学中の大きな事件のひとつが、オイル・ショック。「なんでトイレットペーパーが無くなるんだ」。後輩のY君は「これはチャンスですよ」ときたもんだ。
たしかに石油の時代でした。
のすたる爺 - 吉澤稔雄
2025/03/12 (Wed) 18:02:14
懐旧譚 語るお主は のすたる爺
のすたる爺 故きを温ね 「新」知らず