
セトモノ狸のこと - 粕谷隆夫
2026/07/29 (Wed) 08:08:51
お二人の文章を読むとやはり過ぎ去り行く歳月の、それもひとりひとりの貴重な思い出を吞み込んで流れ去る無常を感じますが、「いやいやおぬし、喜んでいるじゃないか」という天の声が正直、降ってきますね。
幸田文か、なつかしい。子供の頃、教科書で文章を目にしましたね。松ふぐり、犬ふぐりのセトモノ狸か。幼稚園のころから、浅草、吉原をぶらついていましたが、セトモノ狸は記憶にありません。ただ山谷のドヤ街の一杯飲み屋の入口に狸さんのセトモノがドカンと置いてありましたが、こちらは食い物のことばかり頭がもえていて、それも紡績産業が絶好調の時期で、親父たちの尻にくっ付いていて、盃一杯の合成酒の(今思えば)不味い日本酒ばかり思い出し、狸の顔は無しでしたね。
しかし両大人の文章は面白し・・・です。
Re: 蓋棺録③
- 粕谷隆夫
2026/07/30 (Thu) 08:41:39
どうも何が出てくるかわかりません。
蓋棺録の③が出てきました。何気なく切り取り記事をパラパラ見ていて、「治療の順番を待つ母子」とある。赤ちゃんは生後4か月だったのか。
A quiet path to collapse
- 吉澤稔雄
2026/07/30 (Thu) 11:41:51
この「談話室」で警鐘を鳴らす人はほとんどいませんが、ほんとうに心配です。
セトモノ狸のこと(幸田文) - K.Murano
2026/07/26 (Sun) 21:55:55
先月の桑野塾(於早大)での舟川はるひ氏の講演会には遠隔地ゆえに聴きに行けず残念だった。
が、舟川氏の曾祖父の郡司大尉の実兄が幸田露伴と知り、その脈絡(「脈歴」にあらず)で何だか娘の幸田文(あや)(1904-1990)の文章が読みたくなり、上京した折にたまたま古書店で300円で購入してあった『動物のぞき』(新潮社、平成6年[1994]6月25日発行。掲載写真は土門拳)を「覗いてみた」。
この本は著者の没後の出版だが、内容は昭和31(1959)年に「婦人画報」に連載された文章をまとめたものだ。十の文章で構成され、各題目は以下の通り。→ 類人猿、きりん、象、河馬と犀、熊、爬虫類、しこまれた動物、狐と狸、猛禽類、猛獣。
以下は、その「狐と狸」から(同書129~131頁、適当に行替えした)。
━━━━━━━━
動物園の狐、狸の小舎の前へ立ってみる。くさい。動物はみなそれぞれはげしい、そして違った体臭をもっているが、狐、狸も相当に強い臭気を発散する。
小さい坊やを「くさいねえ」とおどろかせる威力をもっている。その坊や君はしかめ顔をしつつ見ていて、おもむろにお父さんにきいた。「狐、どうやって化けるの?」お父さんは苦笑して「化けないよ」「だって化けるっていったじゃないか」「昔の狐は化けたけど、いまのは化けないんだ」「ふうん、どうして?」お父さんは窮地におちている。
そんな会話をよそに赤狐は小舎のなかを、利口げな尖った顔でそわそわ歩きまわる。落ちつきなく忙しそうである。
そのお隣が狸。坊や君の質問がはじまる。「おなか叩くの?」お父さんは否定の返事ばかりしなくてはならないので、困っている様子だ。でもさすがに現代の子供だとおもう。ショ、ショ、ショジョジの狸でポンポコポンのポン、としか連想しなかったらしい。
そばで聞いていた私は明治末の生れなので、あの頃よくあちこちに見た、上品ならざるセトモノのことを思い出していたのである。破れ笠をかぶり、通い帳だったか貧乏徳利だったかをさげ、二本足で立ち、失礼この上なき姿をしている陶製タヌキである。私は私の友だち連中といっしょに、その失礼で且つ異常なる部分を、興味をもってしみじみ眺めているとき、そのタヌキの所有者である一杯のみ屋のおじさんに、実に不愉快に嘲笑されたことを忘れないのである。
実物の狸の前に立てば、あの折のどやされも昨日の如く浮き出すし、いくら眺めても<えたい>の知れなかったあの部分の構造も思い出すのである。しかし現代の坊や君はそんなもののことはいわなかった。いまはずっと上品な世の中になったのだから、あんなセトモノは少ないし、またあったにしても子供の興味は惹かないのかと思う。性教育が行きわたったおかげで、セトモノ狸などを観察しなくとももっとよく知る機会があるのだろう。セトモノの記憶を持っているようじゃもう古いのである。
━━━━━━━
Re: 正誤表 - K.Murano
2026/07/26 (Sun) 22:10:50
上記:
(誤)内容は昭和31年(1959)年に~~
(正)内容は昭和31年(1956)年に~~
付記:
幸田文『動物のぞき』の「きりん」冒頭では、いきなり競馬場で一喜一憂する文(あや)が登場する。きりんではなく、まずは馬の話で始まる。
ということはこの作家の秘書をながらく務めていたという芹川嘉久子氏(1982年日本エディタースクール刊の『露西亜学事始め』の名インタビュアー)もまた競馬場に出没していたのだろうか。
Re: 再・正誤表 - K.Murano
2026/07/26 (Sun) 22:23:20
上記の「正誤表」が間違っていました。上記の本の巻末にある初出の発表誌に関する記述によって、以下のように修正します。
(誤)内容は昭和31(1959)年に~~
(正)内容は昭和34(1959)年に~~
Re: セトモノ狸のこと(幸田文) - 川上宏
2026/07/27 (Mon) 10:05:06
狸の金○八畳敷きじゃないけど、この置物には八相縁起という
八つのご利益があって、そのひとつが金運。一杯飲み屋にあった
のは縁起担ぎですね。
日本中にこの置物が広まったのは、昭和天皇が昭和26年に信楽に行幸した時、この置物が沢山、日章旗を持ってお出迎えしたからだそうです。
松ぼっくりを漢字で書くと松陰嚢で秋の季語。一方イヌノフグリ
(犬の陰嚢)は春の季語。
色鳥に 乾きてかろし 松ふぐり 原石鼎
犬ふぐり 地球に星の こぼれたる 田中時子
幼い頃"松ぼっくりがあったとさ♪"と、意味も分からず若い女の先生と一緒に無邪気に歌ってました。
Re: セトモノ狸のこと(幸田文) - K.Murano
2026/07/27 (Mon) 17:57:34
ご教示、ありがとうございました。戦後のそういう普及のいきさつ、まるで知りませんでした。
明治37年(1904)生まれの幸田文(あや)いわく「私は明治末の生れなので、あの頃よくあちこちに見た、上品ならざるセトモノのこと」の「あの頃」というのは、文字通り「明治末」か「大正初め」あたりだったのか、と思います。
念のため永井荷風の「淫祠」(「日和下駄」所収)を「青空文庫」で読んでみましたが、「セトモノ狸」は出てきませんでした。荷風には「狐」という名随筆がありますが、狸とは相性がよくないみたいです(笑)。
大阪とか京都とかはどうだったのか。セトモノ狸は明治時代、関西にも普及していたのか、興味あるところです。
上記「上品ならざる」という形容句は絶妙だと思いましたが、これ、案外、父親の露伴の評語だったのかもしれません(笑)。
Re: セトモノ狸のこと(幸田文) - 川上宏
2026/07/28 (Tue) 01:14:32
おさなとき あつめしからに 懐かしも 信楽焼の 狸と見れば
昭和天皇が当時詠まれた歌です。
今の狸の置物の原型を作ったのは江戸時代末期の信楽の陶工奥田
信斎とのこと。そして昭和6年、京都から信楽にやって来た狸庵が、狸専門の窯元"たぬきや"を開き、大々的に制作と販売を始めたそうです。
Re: 明治の女の子たちとセトモノ狸 / マーク・トウェイン逸話 - K.Murano
2026/07/28 (Tue) 21:07:43
ご教示、ありがとうございました。
幸田文(あや)の文章ですが、彼女は書こうと思えばもっと細かいことを書けたでしょうが、わざとああいうふうに書いていて、おかげで、どのくらいの大きさのセトモノ狸だったのか、その「一杯のみ屋」のどこに設置されていたのか、その真ん前で文(あや)を含む明治末年の女の子たち(でしょう)がどんな会話をひそひそ取り交わしていたのか、あるいは、みんなだまったまま見入っていたのか、などなど、幸田露伴の娘はまるで書いていません(笑)。
たまたま最寄り駅のリサイクル本の棚にあった古雑誌から、以下、引用します。
鉄道ファンかもしれない川上さんのために。
今回いろいろ調べていただいたお礼の気持ちを込めて。
━━━━━━━━━━━━
1890年代の末、ニュージーランドで講演旅行をしていた時のこと、マーク・トウェインはこの地の汽車がはなはだのろいことに気づいた。
ある日、彼が乗った汽車は極端に念を入れ、はいつくばって走っているような気がした━━ニュージーランドでも例がないほどだ。
ようやく車掌がまわってきた時、マークは切符の半片をさっと渡した。半片切符はふつう小児用である。
車掌を少なからず驚いて、この白髪でたくさんの口ひげをたくわえたユーモリストをキッとみつめ、いくらか皮肉をまじえて問いただした。
「あなたは子供ですか。」
「いえ、今はもうそうじゃないんです」とマークはものやわらかに答えた。「でもこのとんでもない汽車に乗ったときはそうだったんです。」
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■出典: 亀井俊介「ユーモリスト マーク・トウェイン」━━「児童文学世界」№4 (イギリス児童文学会編、中教出版(株)、1981年7月1日発行)に所収。同誌の55頁参照。
Re: セトモノ狸のこと(幸田文)
- 川上宏
2026/07/29 (Wed) 22:36:18
お気遣いありがとうございます。
狸ついでに日本三大たぬき伝説を調べてみました。
◇証誠寺の狸囃子(千葉県)
◇茂林寺の分福茶釜(群馬県)
◇松山騒動の八百八狸伝説(愛媛県)
案の定、信楽焼の狸は入ってませんでした。
再び『湾』 - 粕谷隆夫
2026/07/22 (Wed) 08:20:36
ほんとうに記憶力が減退しています。たしかに舞鶴には行ったことがあるはずなのだが、もしかしたら行ってはいないのかも。
青春小説『青が散る』をもう一度読もうかな。
Re: 検査すべきです - K.Murano
2026/07/22 (Wed) 15:06:19
「ほんとうに記憶力が減退」していると感じておられるなら、病院での検査を受けるべきです。
七十代半ばのそういう自覚を持つ人が医者にかかっても不思議でないし、むしろ常識の類いでしょう。
昔、渡辺謙主演の「明日の記憶」という映画を観たことがありましたが、広告代理店のばりばりの現役社員が突如アルツハイマーの症状を見せ、しぶしぶ病院に行くところからすべてが始まります。
もし頑固に病院に行かなかったとしたら、進行する症状に対してどう対応すべきかがわからず、路上をさまよって行方不明になり、「別の物語」になっていたかもしれません。
その検査ついでに「人間ドック」にでも入り、肉体の他のいろいろな機能を調べることをお勧めします。七十代半ばの、しょっちゅう記憶交替をぼやいているような人がそうした検査をしても、誰も不思議には思わないでしょう。
おせっかいなことを書いたかもしれませんが、以上は小生自身への「自戒の念」でもあります。医者にもかからず、勝手に「俺は大丈夫だ」と根拠なき「なぐさめ」の言葉を自分にかけているだけでは、何も前には進まない、と思います。
検査についてご検討ください。
Re: 正誤表 - K.Murano
2026/07/22 (Wed) 15:09:30
上記:
(誤)しょっちゅう記憶交替をぼやいている
(正)しょっちゅう記憶後退(減退)をぼやいている
Re:嘆きと混乱 - 吉澤稔雄
2026/07/22 (Wed) 18:22:11
昔のことを覚えていない、思い出せないというのは、心配する必要はない。むしろ近時記憶(直近に見たり、聞いたり、話したり、行動したりの記憶)がなくなっていたりすれば、それは大問題だ。ただ、これを嘆くだけで終わらせてはいけない。だったらどうするか? 何らかのアクションを起こさなければ、ただの愚痴で終わる。
それよりも問題なのは、ここに書かれている内容の方だ。まずは貼付された記事と投稿内容との関連性が極めて薄い。そして、文章の運びにも混乱が見られる。「記憶力が減退」→「『青が散る』をもう一度読もうかな」――これでは読者の方が混乱してしまう。何故こういう流れになるのか。発想がおかしい。脈絡というものがまったく考慮されていない。
思考回路は正常か――まずはこれを疑うべきではないのか。僅か3行でこれではねぇ……。
祝・『ソ連以後を闘う女性たち』刊行 - K.Murano
2026/07/17 (Fri) 00:40:14
「水源地」10号に「カザフスタンでフェミニストに会う」を寄稿なさった高柳聡子氏の新刊が発売中です。
タイトルは『ソ連以後を闘う女性たち ━━政治という暴力がもたらすもの』(一聡舎、2026.6.30,第1刷発行)。本体1700円+税。
詳しくは以下の版元サイトをご覧ください。
→https://issosha1994.base.shop/items/140550259
戦場で殺人を犯すべきか(リサイクル本から) - K.Murano
2026/07/12 (Sun) 21:58:06
最寄り駅の改札口近くの棚のリサイクル本を手にしたら、そこに掲載された対談の中で矢内原忠雄(1893~1961)が内村鑑三(1861~1930)の「非戦論」の矛盾についてこんなことを言っていた(注1)。
「非戦論者は戦場になぜいくかといえば、国法に従うからだ。国法に従うということは、内村鑑三の信仰からいえば信仰的に要求されることなんだな。国法に従うことが信仰の要求であると同時に、戦争に反対することも信仰上の要求だ。その矛盾をどうするか。その矛盾を解くものは、戦場において死ぬること以外にはない。こういう解決だな。それは論理的な解決になっているかどうか知らんけれども、そういう悲劇的な、戦争という悲劇的な人類の罪を、自分の身に負うて死ぬること以外に処置する道がない、そういうことだろうと思うんだ。
もし良心的反戦論について内村先生に質問すれば、――日露戦争(1904~1905)の当時に良心的反戦論というのが日本にあったかどうか知りませんけれども、それに反対なさらなかったであろうと思う。けれども自分が率先して反戦運動を組織するというような運動家ではなかったと思われる。」
私は内村鑑三の「非戦論」のこの矛盾が気になっていたが、対談とはいえ、それへの言及にこの本で初めて接して、なんだか嬉しかった。
だが、胸のつかえが氷解したわけではない。「汝、殺すなかれ」と言っておいて、同時に「殊に又た総ての罪悪は善行を以てのみ消滅することの出来るものであれば、戦争も多くの非戦主義者の無残なる戦死を以てのみ終に廃止することの出来るものである。」(注2)と言い切ることは、おかしい、と思うからだ。
「無残なる戦死」というが、これでは、「戦死」に至るまでには、相手の敵兵を殺してもかまわない、ということであり、つまりは「殺すなかれ」と「殺せ」が共存した状態だ。
大岡昇平(1909-1988)の『俘虜記』(1948)巻頭の名高い場面、すなわち、一人の米兵を眼前にして遂に「発砲せず」に(気を失って)終わるまでの「私」の行動への分析ぶりを、なぜか、連想する。この主人公の「私」が内村鑑三のいう「無残なる戦死」を肯定するキリスト者であったとしたら、どういう行動をとっただろうか。
今、ウクライナでの戦場でも似たようなドラマが生じているのだろうか。
━━━━━━━━━
(注1)大塚久雄(1907~1996)『生活の貧しさと心の貧しさ』(みすず書房、1978.4.20第1刷、1978.12.5第6刷発行)所収の対談「内村鑑三と現代」(矢内原忠雄・大塚久雄、司会・藤田若雄、1961年実施)から。同書148頁、参照。
(注2)『内村鑑三集』(編集・内田芳明、近代日本思想体系6、筑摩書房、1975.1.20初版第1刷発行)所収の「非戦主義者の戦死」から。同書263-264頁、参照。
Re: 黒岩比佐子と内村鑑三 - K.Murano
2026/07/13 (Mon) 20:34:03
私の母方の祖父が日露戦争(1904-1905)で衛生兵として満洲へ従軍し、帰国する船に一便乗り遅れたために命拾いしたとか、当時の(?)軍歌を母に子供の頃から聞かされたこととか、さらにはロシア語をかじったりした関係もあって、なんとなく、日露戦争には関心を持たざるを得ないできた。
黒岩比佐子女史(1958.5.1-2010.11.17)が逝去した直後だったか、神保町の細道の路上で、某古書店主人A氏と立ち話していたら、A氏が突如、「黒岩比佐子もすぐそこの勉強会に出ていましたよ」と近くのビルの方を指さした。
古本の勉強会か、初期社会主義者の研究会か何だったかは聞きそびれたが、黒岩氏は熱心に参加していたという。
その時その路上で、私は「自分のバイト先の近くに、あの黒岩さんが来ていたのか」と(そのことを知らなかったことに)残念な気がした。
たまたま女史の大著『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社、2010年刊行)を読んだばかりだったので、なおさらのことだった。
今、書いておきたいのは、日露戦争と当時の新聞人との関係、戦争がらみの「群衆」の「帝都大騒擾」などを扱った文春新書『日露戦争 勝利のあとの誤算』(2005.10.20第1刷発行)での、内村鑑三の扱い方のことだ。
この本の巻末の「主要参考文献一覧」を見ると、『内村鑑三思想選書1 非戦論篇』(羽田書店、1949年刊)がある。だが、上記文春新書の著作をみると、女史は、日露戦争に対する内村の「非戦論」については、踏み込んだ紹介をしていない。その「非戦論」の矛盾を知っていたはずなのに、黒岩氏は(この著作をみる限りだが)「注」の形にしろ、まるでその点に言及していないのだ。
つまり、あの黒岩女史にしても、他の多くの書き手同様、日露戦争への民間の反応を述べるところでは、内村鑑三のことでは、「万朝報」でその「非戦論」を展開した、だけで済ませている。
黒岩さんが堺利彦、竹下夢二、中里介山、木下尚江、池辺三山らを好むのはわかる気もするが、「歴史と命がけで格闘していたヒストリー・オーサー」(むのたけじ評)の女史にしても、幸徳秋水と内村鑑三は苦手だったのではないか、と、(黒岩ファンの一人として)下手な邪推をする次第である。秋水と鑑三とを敬遠する感覚は私も少しは共有するけれども。
+
山田名誉教授の運転でドライブ - 粕谷隆夫
2026/07/11 (Sat) 09:26:28
7月7日は札幌で年1回(当たり前ですか)の七夕コンパ。グランド居酒屋富士ススキノ店。
翌8日は札大露語山田名誉教授の運転でドライブ。石狩当別のジンギスカンは最高でしたね。
Re:しかしなぜ旨いのか? - 粕谷隆夫
2026/07/11 (Sat) 09:46:17
昔から不思議な感覚になります。青函連絡船でジンギスカンを食したのが小学5年生の時でしたね。
浅草で食した味とぜんぜん違う。「うむ、ジンギスカンは北海道で食べるべき。タレが違うのか、羊がちがうのか?」。
青函連絡船内グリルのメニュー - 吉澤稔雄
2026/07/13 (Mon) 23:35:20
青函連絡船内グリルのメニューです。ただし、昭和37年当時もこれと同じだったのかどうかは定かではありません。
Re: AIの回答(青函連絡船にジンギスカンはあらず) - K.Murano
2026/07/15 (Wed) 17:25:30
粕谷さんの上記の書き込みには「青函連絡船でジンギスカンを食した」とありますが、AIに質問してみたところ、以下の回答を得ました。
━━━━━━━━━━━
当時の国鉄・青函連絡船の船内食堂には、ジンギスカンの提供はありませんでした。船内食堂の主力メニューは「海峡ラーメン」や「イカ刺し定食」「カツカレー」などの定食類であり、コンロ等を使用する焼肉メニューの提供は行われていませんでした。
━━━━━━━━━━━
AIのこの回答が真実なら、粕谷さんは記憶違いしていたことになります。最初にジンギスカンを食したのは北海道に上陸してから、ではなかったでしょうか。
AIの言う通りなら、吉澤さんの呈示した船内食堂のメニューにジンギスカンが欠如していることは、青函連絡船の運航史上の常態だったことになります。
Re:最初のジンギスカンは何処だった? - 粕谷隆夫
2026/07/16 (Thu) 07:05:54
74歳をかみしめている今日この頃です。北海道に初めて上陸したのは小学校5年生の夏休みであった事は間違いないのですが・・・。
あれは羊ヶ丘だったのか? それとも狸小路だったのか?
おふくろの弟3人と一緒に札幌へ行きました。たしかに藻岩山のロープウェイもありました。
今は誰も生きていません。
千野栄一先生の新刊記念のイベントの御案内 - K.Murano
2026/07/08 (Wed) 22:48:22
以下も、樫本真奈美さんの一斉メールから。
━━━━━━━━━━━━
千野栄一『ビールと古本のプラハ』(白水社)刊行記念
阿部賢一先生×大平陽一先生特別対談「プラハと古本と千野先生の記憶」のご案内
日時:2026年7月18日(土) 17時〜
場所:東京堂書店 神田神保町店 6階 東京堂ホール
参加費:1500円(税込み/要予約)
お申し込み:http://www.tokyodo-web.co.jp/blog/?p=27062
昨年8月の刊行以来、千野栄一『プラハの古本屋』(中公文庫)が異例のヒットとなっています。
千野先生はスラヴ学の泰斗として知られ、2002年に亡くなられました。
社会主義時代のチェコでのことを綴った『プラハの古本屋』が没後20年余りを経て、広く読まれる背景には何があるのでしょうか?
さらに、このほど、千野先生が「『プラハの古本屋』に続くもの」と位置づけた『ビールと古本のプラハ』が白水社から刊行されました。
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b676611.html
この特別対談では、『プラハの古本屋』『ビールと古本のプラハ』の解説をそれぞれ執筆され、また千野先生の教えを受けた、阿部賢一先生と大平陽一先生にご登壇いただき、千野先生のお人柄から、プラハの今昔、両書のそれぞれの読み方、なぜいま多くの読者に届いているのかまで、縦横に語っていただきます。
エレナ・ブジョラさんの講演会の御案内 - K.Murano
2026/07/08 (Wed) 22:42:44
以下、樫本真奈美さんの一斉メールから貼り付けました。
━━━━━━━━━━
第92回 桑野塾のお知らせ
7月25日(土)の桑野塾は、ウクライナ出身のアートマネージャー、エレナ・ブジョラさんにお話を伺います。
東京藝術大学大学院修了後、パソナグループで淡路島のアートフェスティバル「Awaji Art Circus」を立ち上げ、プロデューサーを務めるなど、芸術で地域を創生する活動を展開されています。
お誘い合わせのうえ、ぜひお越しください!
研究会は予約不要です、どなたでも気軽にご参加ください。
日時:7月25日(土)15:00-18:00
場所:早稲田大学戸山キャンパス36号館 581教室
報告者:エレナ・ブジョラ
報告タイトル:『芸術で地方再生~Awaji Art Circusの実践から考える~』
―――――
2011年来日、東京芸大で主にアートマネジメントを学んだあと、2015 年パソナグループに入社、みずから立ち上げに関わった国際パフォーミングアーツ・フェスティバル「Awaji Art C i r c u s 」のプロデューサー・総合ディレクターを務めているエレナ・ブジョラが、芸術による地方創生について報告します(日本語)。
地方が抱える課題を浮き彫りにしながら、「地方創生」という問題を提示、これに向けて行われてきたさまざまな芸術からのアプローチを明らかにし、国内外での芸術によるこの試みの具体例を明らかにします。
そしていま携わっている淡路島で行われている国際パフォーミングアーツ・フェスティバル「Awaji Art Circus」をとりあげ、実際にプロデュース、演出してきた立場から、このイベントを具体的に紹介、 芸術と地方創生の可能性をさぐっていきます。
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懇親会のご参加を希望される方は、事前予約にご協力をお願いします。
懇親会の申し込み〆切は7月22日(水)です。
懇親会お申込:masakatsuishii@gmail.com(石井将勝)
桑野塾世話人 樫本真奈美
━━━━━━━━━━
ありがとうございました! - 樫本真奈美
2026/07/06 (Mon) 22:16:22
2日はありがとうございました!!!
関西人の私としては、憧れの液体を初めて口にできた記念すべき日です!!明治・大正・昭和の文豪たちに愛された名酒「電気ブラン」をいただけて幸せでした。
ホッピー街も楽しかったです。
皆さんの貴重なお話をお伺いする時間が足りませんでした。また、機会ありましたら誘っていただけたら幸いです。
すっかりご馳走になり、本当にありがとうございました!!!
Re: お疲れさまでした - 吉澤稔雄
2026/07/06 (Mon) 23:10:38
樫本さん、3軒めまでは想定外でしたよ。私は少し飲み過ぎたようで、帰路の電車の中で急に酔いがまわってきて、気がつけば降車駅を乗り過ごし、次の駅まで行って引き返してきました。
翌日、美水さんからメールをいただきました。それによると彼は解散後にもう1軒ひとりで飲みに行ったそうで、私は唖然としました。さすがです、美水さん。
Re: ありがとうございました! - 川上宏
2026/07/07 (Tue) 00:26:30
樫本様、お忙しい中お付き合いいただきあり
がとうございました。おかげで楽しく愉快な
ひとときをご一緒することができました。
♪デンキブラン 一杯天国 二杯で地獄
三杯飲んだらあ~の世行き♪
あがた森魚"赤色エレジー"から
Ps. facebook [酔いどれ日記in浅草]拝読いたしました。
デンキブランにまつわる文学者たち、永井荷風、太宰治、萩原
朔太郎、林芙美子、エトセトラ········。
赤羽での再会を、今から楽しみにしております。
Re: ありがとうございました! - K.Murano
2026/07/07 (Tue) 21:51:19
上記川上さんの書き込みをみて、私も、facebook [酔いどれ日記in浅草]を拝読しました。樫本さん、ありがとうございました。
それで思い出したのは、岡本かの子(1889-1939)の名セリフです。
ちくま文庫「岡本かの子全集」のエッセイの巻のどこかだったか、かの子は「江戸っ子の魂(心の底)には隅田川が流れている。」と言い切っています。
たしかに、かの子の「河明り」(1938)の前半では墨田川がもろに流れているのですが、後半はいきなりシンガポールに飛んでしまいます。大乗仏教的な説明が付されますが、こうした、かの子姫のイマジネーションの飛翔が(私には)面白いです。
往年の神谷バーにつどった文人たちの中に岡本かの子の姿はなかったかもしれませんが、以上、念のため、書き込ませていただきました。