講演「シャガールの芸術世界」(角伸明氏)のご案内 - K.Murano
2025/09/13 (Sat) 18:43:56
第86回 桑野塾
日 時 2025年9月20日(土) 午後3時~
会 場 早稲田大学 戸山キャンパス 31号館1階105教室
【早稲田大学Webサイトのキャンパス地図&交通アクセス】
内 容
●「ユダヤの放蕩息子、マルク・シャガールの芸術世界」角 伸明
申込み 不要 直接会場にお越しください
参加費 参加費は無料です(懇親会はワリカン)。
※ 本会の幹事の一人が、「水源地」寄稿者でもある樫本真奈美氏です。
祝「日本文化情報センター」創立26周年! - K.Murano
2025/09/13 (Sat) 10:51:43
「ベラルーシの部屋ブログ」https://blog.goo.ne.jp/nbjcで健筆を揮われてこられた辰巳雅子氏の主宰する「日本文化情報センター」(在ミンスク)が今月9日で創立26周年を迎えました。
本年8月以降の同ブログによれば、同「センター」はミンスク市立児童図書館から「撤退」し、今月「日本語教室」の授業を再開した、ということです。詳しい経緯は同ブログをご覧ください。
辰己氏の事業は国籍を問わず世界中の日本語教師と日本語学習者に勇気を与えるものです。
今後も同事業が末永く発展せんことを!
山田淳子 写真展「わたしの百人の祖父母たちー北方領土・元島民の肖像―」のご案内 - K.Murano
2025/09/10 (Wed) 20:21:19
2025年9月4日(木)~9月15日(月) 山田淳子 写真展「わたしの百人の祖父母たちー北方領土・元島民の肖像―」(作品点数110枚〔予定〕)
■期間 2025年9月4日(木)~9月15日(月)10:00 〜 18:00 最終日 15:00 まで
入場無料 ※休館日9月9日(火)・10日(水)
■トークイベント 9月13日(土)15:00~
ゲスト:小泉悠(東京大学 先端科学技術研究センター 准教授)
■会場 OM SYSTEM GALLERY(旧 オリンパスギャラリー東京)
●営業時間
10:00~18:00
火曜・水曜定休、GW・夏季・年末年始の長期休業
●所在地
〒160-0023
東京都新宿区西新宿 1-24-1 エステック情報ビル B1F
電話番号:03-5909-0190
●山田淳子氏の言葉:
「私の祖父は昭和二十年秋まで現在は北方領土とよばれている歯舞群島の志発島で漁師として暮らしていたが、昭和二十年九月に旧ソ連兵の侵攻により島を脱出し、その後は一度も島に帰ることなく亡くなった。
私は祖父から一度も島の話を聞いたことはない。家族から祖父が北方領土にいたことは聞いていたが、ずっと忘れていた。
自分のルーツを知るために釧路へ元島民である父の従兄弟に会いに行った時に「元島民に会って話を聞いて写真を撮る」ことを決めた。
祖父はなぜ島のことを話さずに亡くなったのか、それを知る術はもうない。しかし元島民に会って当時の話を聞くことはきっと祖父の記憶と重なるものがあるのではないかと思っている。
2025年は昭和100年であり、戦後80年を迎える年である。元島民の平均年齢は89歳を超え、存命の島民の数は5,000人を切っている。
2019年から撮影を始めて6年で100余人の元島民の撮影を終えた。今回はこの元島民たちのポートレートを中心に展示をする。」
以上、以下のサイトから。→ https://note.com/omsystem_plaza/n/n88632d8cdb6c
「出版社が差別を煽るな」(東京新聞社説)を読んで - K.Murano
2025/09/04 (Thu) 21:39:24
本日キオスクで「東京新聞」を買ったら社説で「週刊新潮コラム」の事件を取り上げていた。
最初は「なんだ、今頃になって社説とは対応が遅いではないか」と思ったが、その末尾あたりに「批判が高まる中、「週刊新潮」は8月28日号で連載終了を告知したが、理由の説明は一切ない。」とある。ということは、この「連載終了」告知を受けた形で今回、社説の筆を執ったのだろう、とも思った。
この事件を初めて知った時から私が気になっているのは「深沢潮ら」の「ら」の人々だ。
深沢氏は記者会見を行ない、新潮社と、問題の「週刊新潮」の高山正之氏(元産経新聞記者)のコラムの内容を告発した。そのコラムでは深沢氏以外にも実名を挙げて非難された人が「複数」いたという(私自身はまだ記事の現物にお目に罹ってはいない)。
つまり「週刊新潮」の読者は(このコラムを読んでいれば)その「複数」の人達の姓名を知っているわけだ。そうした事態であっても、高山氏から「日本を貶める外人」と罵られたその「複数」の人たちはあえて沈黙を守るのだろうか。深沢氏のような真似をしたらネットでとやかく話題になるだろうから、と恐れているのかもしれないが、仮に、深沢氏があえて記者会見を開かなかったとしたら、どうなったろうか。全員が永遠の「泣き寝入り」状態のままになったかもしれないではないか。
以下、上記社説の前半から引用しておく。
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「週刊新潮」は7月31日号で、ジャーナリスト高山正之氏の連載コラム「変見自在」を掲載。「日本人を装って日本を貶める外人は排除しきれない」などとして、作家の深沢潮さんら複数の人を実名で非難した。
深沢さんは東京都出身で、両親は在日韓国人。30歳で日本国籍を取得した後、〔20〕12年に作家デビューを果たした。だが、当時から自らの出自を一切隠していない。「日本人を装って」といった非難は事実でない上、排外主義的な悪意を強く感じさせる。
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私はジャーナリストとか新聞記者は「事実」(ファクト)から出発するものばかりと思っていた。ところが、高山氏は、深沢氏が作家デビューから今日まで「自らの出自を一切隠していない」ことを知らずに、あるいは知っていて、非難したわけだ。「事実」をろくに調べもせずに筆を執った、と思われても仕方ないだろう。大新聞社出身だそうだが、現役記者時代はどんな記事を書いていたのだろうか。まさか外国人排斥に精を出していたのではあるまい(?)
ラフカディオ・ハーンに向かって「お前は小泉八雲なんてペンネームを使って日本を貶めている外国人である」などと罵ったら吹飯ものだろう。
なお、ネットで目にしたが、以下の記事がある。雑誌「創」編集長の篠田博之氏の筆によるものだ。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/51ecd4b27c181dc3554ed5c4ca664b56f2144fea
Re: 「出版社が差別を煽るな」(東京新聞社説)を読んで - 粕谷隆夫
2025/09/05 (Fri) 08:38:18
当社の資料室の週刊新潮29号『7月31日』号。122頁。高山正之・変見自在『創氏改名2・0』です。
ええ、連載1144ですか。163週も書いているの?
Re: 正誤表 / 8月4日の会見から - K.Murano
2025/09/05 (Fri) 10:15:23
粕谷様、問題の記事を紹介していただき、ありがとうございました。
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上記(小生の書き込みから):
(誤)・・・「深沢ら」の「ら」の人々だ。
(正)・・・「深沢さんら」の「ら」の人々だ。
単純な脱字ですが、失礼しました。
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今回の深沢潮氏の発言で(私にとって)印象深かったのは以下のくだりだった。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/70704855385356f183c58fcd238f5458f7ffec75
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「文芸の老舗である新潮社の「女による女のためのR18文学賞」の大賞を受賞したとき、私はとても誇らしかったです。これまで影響を受け、愛読してきた文学は、新潮社から刊行されたものが多かったからです。「女による女のためのR18文学賞」出身の作家さんたちの作品も大好きでした。このような素晴らしい文学作品を輩出し続けてきた新潮社からデビューし、数冊の本を出せたことは、とても幸せでした。
しかし、今回の件で、私の心は打ち砕かれました。
屋上でいい景色を見せてくれたと思ったら、背後から突き落とされた、そんな感覚です。
レイシズムに基づいた差別扇動となる、事実誤認のあるコラムが、信頼していたデビュー版元の媒体に載ったことは、私一人ですませていい問題ではないと思い、このような記者会見にいたりました。」
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上記サイトには以下の記述もあった。これをみると高山氏がいかに事実(ファクト)を調べていなかったかが明らかだ。朝日新聞への攻撃という「理念」(イデオロギー)の囚人になっていて、そのためには自分で捏造した「事実」を並べて事足りる、という姿勢にみえる。(以下、すべて引用)
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同じく記事で「日本人を装って日本を貶める外人」とされた東北大の明日香寿川教授も、オンラインで、こう語った(音声がうまく流れず、司会の代読となったが)。
「明日香寿川は戸籍上の本名であり、通名など持っていません。大事なのは、自分たちと違う意見を非国民・非愛国者と批判するのは、それこそ日本がかつてたどった破滅への道だということです」
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Re: 『変見自在』など取り上げるな! - 天道公平
2025/09/07 (Sun) 12:09:49
粕谷大人は、以前にもこの談話室で高山正之の『変見自在』のコラムを取り上げて好意的なコメントを付けておられました。その時に私は、高山正之の事実誤認にもとづく立論の不備をとことん貶してやろうと思い文章を書き出したのですが、事実確認のために要求される労力の大きさに嫌気がさして、こんなことをしている場合ではないと断念してしまいました。
粕谷大人がかつて古田博司の文章を紹介していた時にも感じたことですが、粕谷大人は差別意識に対してあまりにも鈍感過ぎます。
ネット情報に疎い粕谷大人が、村野さんの投稿に対して即座に反応し、高山正之のコラム記事を掲載出来てしまったということ自体の中に問題は潜んでいるのです。
批評的考察のための資料として取っておいたというのならば別に問題はないのですが、粕谷大人の場合はどうもそうではないのです。高山のコラムを連載している『週刊新潮』のような週刊誌が資料室に保管されている事が、粕谷大人と高山正之の思考法に親和性があることを示しています。長年の習慣だろうからそうも行かないのでしょうが、『週刊新潮』なんかとはさっさと縁を切ればいいのに、と私は思います。
サンバカーニバル - 川上 宏
2025/09/01 (Mon) 01:14:53
病院(お見舞い)の帰り浅草に寄ったら、浅草サンバカーニバルに出会いました。神谷バーとサンバ!
70代後半と思われる爺さんが、踊っていて熱中症に
なったのか、救急隊員に抱きかかえられ、会場から搬送されてました。
「あの爺さん、大丈夫かな?」
須賀、川端、バーグマン、ヘミングウェイ - K.Murano
2025/08/27 (Wed) 23:32:13
最近本欄で須賀敦子(1929-1998)『本に読まれて』(中公文庫)に触れたが、その際に書きそびれたのは、川端康成(1899-1972)がスウェーデンでのノーベル文学賞授賞式(1968.12.10)と講演会(翌12.11)のあと、奥さんと共にイタリアで須賀敦子と会食している、ということだ。
須賀のこの本所収の文章によると、イタリアの日本大使館員が手配してくれたという。ウィキペディア「川端康成」にはスウェーデンからの帰途パリに寄ったことは記されているが、イタリアにも足を伸ばしたことは出てこない。須賀は川端とは初対面だったのだろうが、前年(1927年)に夫ペッピーノが逝去したことを洩らしている。すると川端は「そこから文学が始まるのだ」と告げたそうだ。このエピソードから須賀は一挙に川端文学の本質は何だろうかと論を進める。
『本に読まれて』は一人の著者による書評エッセイ集だったが、同じく私が古本屋さんで最近購入して「読まされた」本に、朝日新聞(1999年9月~2004年3月)に73名の小説家、詩人などが執筆(一人4000字強くらい。3回の分載)したものを寄せ集めた『いつもそばに本が』(ワイズ出版、2012.1.5第1刷)がある。二段組で本文450頁ほど。この本で一番(私には)印象強かったのは、和田誠(1936-2019)がさらりと書いた、以下のくだりだ。
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ヘミングウェイは映画の「誰が為に鐘は鳴る」を5回見た、とヒロインを演じたイングリッド・バーグマンに言ったそうだ。バーグマンが喜んで「そんなに気に入ってくれたんですか」ときくと、「いや、我慢できずにすぐ出てしまうので、全部見るまで5回かかった」と答えた。この話はバーグマンの伝記『マイ・ストーリー』に出てくる。
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「この話」を読んで私はどういうわけか、川端康成が映画「雪国」や「伊豆の踊子」の撮影現場に乗り込んで(それぞれの現場で)岸恵子や吉永小百合と仲良く一緒におさまった集合写真を思い出した。
出来上がったそれらの映画作品を映画館のなかで見て川端が何を思ったのかは知らないが、どうやら、ヘミングウェイのほうが映画に対しては厳しそうだ。あの映画で大変な熱演(とは小生の印象)のバーグマンを前にして平気でそんなことを口走るヘミングウェイ。
川端康成の方は、どうだったのだろうか。
Re: 正誤表 - K.Murano
2025/08/27 (Wed) 23:34:53
(誤)前年(1927年)に夫ペッピーノが逝去した
(正)前年(1967年)に夫ペッピーノが逝去した
ワード検索 - 粕谷隆夫
2025/08/29 (Fri) 07:00:46
便利なもんです。
山の手は『田舎』でしたか。
Re: 「山の手」とは?→ AIの返答 - K.Murano
2025/08/31 (Sun) 20:36:19
「山の手」とは何ぞや、とネット検索してみました。すぐに、AIから返事がありました。以下の通り。
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「山の手(やまのて)」とは、本来は都市部で山の方向にある高台の地域を指す言葉で、特に江戸・東京では武家屋敷が多く置かれていた台地上の地域を意味します。
現代では、対義語の「下町(したまち)」と共に、高級住宅地や富裕層のイメージと結びつき、東京では西側の台地区域を指すことが多いです。
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下記の「鐘ヶ淵」のブログのやり取りの流れで、私はだいぶ以前の私の書き込みを紹介しました。舞台は1960年代前半の世田谷区八幡山町です。
たぶん、当時の八幡山の住民に「われわれは<山の手>に住んでいる」という意識はなかった、と思います。
当時の八幡山のあちこちに広がる畑地には肥溜めがあり、住民はみんな汲み取り式便所だったはずです。
そんな状況の場所を「田舎」と呼んでも、今の感覚だと、大きく外れているとは言えない、とは思います。
それも、1964年の東京オリンピックを境にして、変貌が始まりました。田んぼと畑がなくなっていきました。かなり早いテンポだったと回想します。
鐘ヶ淵 - 川上 宏
2025/08/25 (Mon) 10:40:01
"出没!アド街ック天国"というTV番組(テレビ東京)が東武鉄道
を特集し、23日は鐘ヶ淵駅が取り上げられました。
粕谷氏の話の中に、よく鐘ヶ淵が登場します。
私の中の記憶では、鐘ヶ淵といえば"カネボウ"か
"鐘淵化学工業。それしか思い浮かびません。
Re: 鐘ヶ淵と荷風 - K.Murano
2025/08/25 (Mon) 19:55:54
私は東京下町の地理には疎いのでネットで検索しましたが、鐘ヶ淵の近くが玉ノ井なのでは? ということは、『墨東奇譚』の荷風は鐘ヶ淵も歩いたのでしょうか。
岩波文庫では『断腸亭日乗』全2巻(抄録版)がありますが、その後、『日乗』全巻の同文庫版が刊行中で、現在、(一)~(四)=大正6年~昭和10年(1917-1935)まで出ています。どこかに鐘ヶ淵も登場しているのかもしれません。
Re: 正誤表 - K.Murano
2025/08/25 (Mon) 21:03:31
(誤)墨東奇譚
(正)濹東綺譚
Re: 鐘ヶ淵 - 粕谷隆夫
2025/08/26 (Tue) 07:09:31
鐘ヶ淵駅のひとつ北千住寄りの駅が堀切駅。ここは隅田川と荒川の二つの川に挟まれています。なんともいえない風情があります。ここにカネボウ物流のビルと倉庫がありました。
親父が亡くなってノース通信社をやめ、金が必要になったため、物流の世界に入りました。まだ20代の昔の話です。カネボウ物流に顔を出したら、「えッ、粕谷さんの息子さん」という事で、話はトントン拍子。鐘ヶ淵の駅前のスッポン屋で一杯。今でもあの店あるのかな?
しかしお世話になった方々は、皆さんゆっくり永眠なさっております。時は過ぎゆく。
Re: 鐘ヶ淵 - 川上 宏
2025/08/26 (Tue) 09:51:01
東武スカイツリーライン東向島駅(旧玉ノ井駅)から、北千住に向かってひとつ目の駅が鐘ヶ淵駅。カフェー街は戦後、北の方に拡張したようなので、荷風さんも歩いたのではないでしょうか。
"下町の太陽"(1963年/松竹)は、東武線、京成線沿線の下町が舞台。主人公の寺島町子(倍賞千恵子)は石鹸工場で働く女工さん。京成曳舟駅のそばにあった資生堂に勤務していたらしい。
Re: 鐘ヶ淵 - 粕谷隆夫
2025/08/27 (Wed) 07:12:57
隅田川を挟んで、鐘ヶ淵の対面(といめん)が荒川区南千住10丁目です。ここに鐘紡と日紡の工場があり、数多くの社宅がありました。地方から出てきた人々は自宅など持てません。
茨城の祖父と秋田の祖母はやはり鐘紡に勤めていて社内結婚。祖父は腸チフスで38歳で死亡。
まあ、いろいろありましたが、ここは狭い社宅の話です。玄関口に2畳、そして6畳、4畳半、3畳と台所。これのみ。小生の部屋は3畳でした。あれは中学3年のときかな。朝型なので早寝。テレビの声でふと目ざめると、祖母、母、叔母、妹が真剣な目つきでテレビに釘づけ。それは何か恐ろしさを感じましたね。
それが『氷点」。芦田伸介が出ていましたね。
Re: 鐘ヶ淵 - 川上 宏
2025/08/27 (Wed) 21:39:30
結婚してすぐ社宅に入ったのですが、1960年代に建てた鉄筋コンクリート製、間取りは粕谷氏のところと同じだったと思います。
4階建てで、もちろんエレベーターはなし、窓もアルミサッシではなく、刑務所にあるような重たい鉄製、風呂もガス釜の焚き口に直接マッチで火をつける仕様。様子を見に来た義母は意味深にひとこと「家賃に見合った造作ね」。
Re: 鐘ヶ淵 - 粕谷隆夫
2025/08/28 (Thu) 07:04:21
川上、村野、両兄の話を読むとニッカのロックを呑みたくなります。
まあ、戦後の匂いがまだ残っていたのかな。なんだろう。親父もお袋もガムシャラという感じ。われらの仲間も高校時代、学生運動でガムシャラ。小生みたいのは川端の小説の話をすると、「おまえは馬鹿か」という感じ。俺は、「石井君、お前、ちゃんと風呂入っているのか!」と逆襲。
しかし、時の流れで、残り時間を真面目に考えるこのごろです。社宅といえば、汚いはなしですが、当時は和式の汲み取り。我が家は、秋田県のいろいろな方々が、就職で東京にきて、みんな泊まっていく。鐘紡南千住工場の社務担当のひとが、「粕谷家は特別に汲み取りの回数、多くして」との配慮あり。親父もお袋も苦労してたな。俺は三畳間でひとりだったから良かったし、早く蝦夷地に行こうと思いましたね。
Re: バキュームカー活動中 - K.Murano
2025/08/28 (Thu) 23:12:00
「汚いはなしですが、当時は和式の汲み取り」とありますが、私が今ご縁のある「・・市」は、郊外の畑の拡がっているあたり、あちこちに散在している住宅地など、どこも汲み取り式か浄化槽です。
浄化槽といっても下水管と繋がっていればよいのでしょうが、そうでないほうが多いようで、結局、汲み取り式より回数は少ないにせよ、バキュームカーの世話になっています。
もう5年近く以前ですが、本欄に、以下、綴りました。キイワード「バキュームカー」で出てきます。
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私は子供の頃、世田谷区の八幡山という所にいましたが、東に松沢精神病院(元青山脳病院=斉藤茂吉)、西に芦花恒春園(通称芦花公園)(=徳冨蘆花)のはざまで、住んでる住宅地の近くに畑や田んぼが広がっていました。バキュームカーがなかなか来ないとかで両親は夜陰に紛れて自家製糞尿をバケツに入れて近くの畑の肥溜めに捨てに行ったこともあったそうです。国木田独歩「武蔵野」の渋谷村ほどではありませんが、まだ、のんびりした景観があったのです。
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畑地から「肥溜め」は亡くなってしまいましたが、バキュームカーはまだ健在です。